1: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:10:10.03 ID:p43eclQi9
[となりのテレ金ちゃん-テレビ金沢]2020年3月30日放送の「なぞの細道」のコーナーでは、松尾芭蕉が「奥の細道」を執筆した際の旅費について取り上げていました。

「人生も旅のようだ」と旅をしながら句を詠み続けた芭蕉。しかし、現実問題として、そのお金はどうやって工面したのでしょうか?

■熱心なファンがカンパ?

松尾芭蕉の代表作といえば、東北や北陸をめぐった旅行記「奥の細道」。

芭蕉は石川県加賀市の山中温泉にも滞在しています。8泊9日と予定よりも長く滞在し、よほど山中温泉が気に入ったのではないでしょうか。黒谷橋などを絶賛し「行脚の楽しみ ここにあり」と詠んでいます。

美味しいものを食べて、絶景を満喫した模様ですが、そのお金は門人(弟子)の曾良などが工面していました。

旅費のほかにも、句会の出座料、加点料、短冊や色紙に書いた際の報酬を手配していました。

中には金沢からはるばる追いかけて路銀(旅費)を渡したという熱心なファンもいたそうです。


それほど当時の芭蕉の句は前衛的で皆に認められていました。

そして、山中温泉に長く滞在した別の理由。実は芭蕉は痔の持病があり、山中温泉につかって痔を癒したのではないかと言われています。

有名な芭蕉も、病には勝てなかったのですね。(ライター:りえ160)

2020年4月12日 6時0分 Jタウンネット
https://news.livedoor.com/article/detail/18107857/

画像 

松尾芭蕉 (1)
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3: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:11:11.18 ID:/Z+WNh9P0
忍者だから、公儀から出るだろ

160: 名無しさん 2020/04/12(日) 11:53:59.37 ID:/kvfnm0E0
>>3
そう思う。日本中あちこちに出向き、情報招集していたとか。

186: 名無しさん 2020/04/12(日) 12:57:52.58 ID:O5ddw2Y50
>>160
同行してる河合曾良はその後公式に幕府調査官をやってるわけだから、
そもそもこの俳人の師匠と弟子の正体はは隠密の師匠と弟子でしたの可能性が高いよね。

5: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:12:23.45 ID:y1OSXBVT0
先生、こっちに来てくれ、こっちに寄っていってくれの状態だから
旅のお金なんて、あんまり必要なかったろ

13: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:15:18.87 ID:8YKQL+k40
芭蕉の本業は「間者」つまりスパイだろ
諸国俳諧漫遊を口実に、各藩の動静情報を集めていた
部下も何人か連れていたというしな

36: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:22:34.10 ID:dSaCX2Hh0
>>13
そんな目立つ間者ありえんなーw

189: 名無しさん 2020/04/12(日) 13:29:21.25 ID:/rxOxJOD0
>>36
目立つから誰もそいつが間者だなんて 思わないんだろ

20: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:17:10.29 ID:gwmc1egu0
俳句を色紙に書いて店にプレゼントしてたんじゃないの

101: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:52:44.42 ID:qMPV6jL60
>>20
この時代は短冊だな。
小倉色紙みたいな「色紙」もあるけどあまり一般的ではない。

明治になると今みたいな色紙が出来るが、当初は薄くて縁取りもなかった。

21: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:17:35.58 ID:uhjFNYC10
別に松尾芭蕉に限らず、昔の日本人は行く先で泊めてもらってただで旅行ができたらしいがな
まれびとなんかの話とも繋がってくるが

70: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:38:08.51 ID:iOFj+V0N0
>>21
江戸時代は地方でも富豪や知識階級が多く、都会の最先端の学問、文化、芸術を吸収する意欲がものすごく高かった 

年貢率は高いとはいえ、それでも文化を受け入れる余地は生まれてた 

その結果なにがしかの才能があれば富豪や知識階級は旅人に宿を貸し、地方の横つながりで次に申し送りして、いくばくかの小遣いを持たせて旅立たせてた

95: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:47:17.83 ID:uhjFNYC10
>>70
いや普通に行商人や旅芸人、遊行人も対価なく泊めたらしい 

明治時代とかにも続いていて、宮本常一とかは四国から大阪に遊びに行った乙女の話を書いてたり
そのうち勝手に居座って嫁になる、押しかけ女房みたいな話もあったりなw

26: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:19:32.72 ID:JPf1TBVc0
>>1
この時代だと「奥の細道」の行路ってまさに「大冒険」だよなあ

今みたいに精巧な地図も便利な交通手段もなく、治安だって決して万全だった訳ではないだろう

もしかしたら疫病の危険だってあったかもしれない
それを高齢になってから「大冒険」に旅立ったのはほんと凄いと思う

204: 名無しさん 2020/04/12(日) 15:44:46.49 ID:VTcHRkyO0
>>26
東京から歩いて東北行って戻ってくるとか、考えられない
ろくに道路もないのに。野道みたいなところずっと歩くとか

34: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:21:52.76 ID:asVB/p5C0
幕府が出してたんだろ
各地の藩の内定する重宝だったんだし

48: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:28:35.55 ID:It5ARH2U0
>>34
幕府にそんなお金ないなw

天下の回り物で幕府も朝廷もすっからかんで庶民のがよほどお金の使い方は余裕があった

でなきゃ方々から句会に招かれて、なんてないし

39: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:23:43.15 ID:FcoDad9r0
奥のほそみちを読んだことがあれば
田舎の俳句好きの金持ちの家を廻る

営業活動だって分かるだろうに

50: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:29:52.70 ID:X9PjQq5l0
45にしてはめちゃめちゃ健脚だしな

59: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:33:55.22 ID:d3GOnYsz0
>>50
1日50km以上移動した日もあるみたいだしな

行こうと思えば行けなくもない距離ではあるけど、馬とか使いたくならなかったのかね

87: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:43:19.08 ID:Zm4AnLBj0
>>50
40代位までは健康ならまだそれ程体力の落ち込みはないだろうな
50過ぎると日常でも影響出てくる

234: 名無しさん 2020/04/12(日) 17:43:14.14 ID:TWsCDzOq0
>>50
45なら大丈夫だろ

筋力特に持久力は若い者には負けない
心肺能力や回復力が落ち始めるころ

目の衰えも始まるけど

65: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:35:59.83 ID:9M8PHBJW0
昔の人はなんでも徒歩で凄いな
実際あんな楽しそうじゃないと思うけど

74: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:39:27.38 ID:q/Fpn65s0
>>65
明治生まれの爺ちゃんは、今で言う熊野古道を毎日2キロ往復して小学校に通ってたし、それが田舎では普通だった。

その当時で「健脚」と言われる人は相当な身体能力があったんじゃないかと思う。

68: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:36:52.85 ID:d3GOnYsz0
50kmぐらいというと山手線1周半ぐらいの距離か

77: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:40:28.42 ID:ETNfz6740
>>68
ふつうの旅(商人など)が30キロ+/日だよ。
熊谷~大宮が1日(約34キロ)。

奥の細道の旅は夏なので、がんばれば50キロ弱歩ける。

107: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:57:26.24 ID:Cbcd3fo00
ヒッチ俳句

110: 名無しさん 2020/04/12(日) 10:58:49.96 ID:jldQ3qv70
旅行予定が決まっていて
各地の芭蕉ファンである有力者の家に泊り歓待を受け

さらに寄付をもらっていただろ

131: 名無しさん 2020/04/12(日) 11:23:47.80 ID:K38UCZ2b0
公儀の忍者だったから、金は幕府から受け取っていたんだろうな
それに庶民だったら、関所とか通れないしな

今と違って、他の藩領に入るのは容易ではない時代だからな

208: 名無しさん 2020/04/12(日) 16:17:29.36 ID:CQosDdh60
芭蕉には各地にファンの支援者がいて大農家とか商家に泊まり歩いていたんだよ
ついでに俳句会開いたりして路銀も貰ってたんだろ

210: 名無しさん 2020/04/12(日) 16:31:03.90 ID:E6CUkhVi0
>>208
実際、地方の田舎庄屋の家でも3日ぐらい滞在していた。

那須では高久家に滞在、それも温泉に行く為の通過点でなんもない家。

「落ちくるやたかくの宿の時鳥」
わざわざ、高久(たかく)の苗字を入れるなんて、今でいうスポンサー名と一緒。
タダ飯、タダ風呂はもちろん、苗字入りの俳句なんて、かなり高価だったんじゃ?

田舎庄屋も「我が家には芭蕉先生が泊まり、その証拠に名入りの句もあるぞ」と後世にも自慢出来るしね。>>208

217: 名無しさん 2020/04/12(日) 16:40:35.04 ID:5/JBKivV0
昭和中期までは商人宿というのがあって格安で泊まれたけど、今はもうホンモノの商人宿は無いんじゃないかな

249: 名無しさん 2020/04/12(日) 18:45:50.12 ID:mYLgPRqZ0
酒と旅を愛した明治の国民的歌人・若山牧水も全国の愛好家から招待されて旅を続けてたんだよね。

行く先々で酒を呼ばれ歌を詠み、そこでいただいた祝儀が収入源だった。

酒の飲み過ぎで早死にしたんだけど、真夏に死んだにも関わらず体内に残ったアルコールのせいで
遺体が腐らなかったと言われている。

 ↓  にもあるように、全国どこへ行っても牧水の歌碑があるね。

牧水の歌碑は全国に約300基(2010(平成22)年現在)確認されており、
その数は歌人の中で最も多く、旅を愛した牧水の足跡、人気をうかがうことができます。

引用元:若山 牧水|宮崎県郷土先覚者

251: 名無しさん 2020/04/12(日) 20:00:05.40 ID:AdrPT/HY0
庄屋の家や寺に泊まる
寝泊まり飲み食いただ

時々近隣の金持ちが来て揮毫を頼まれる

その度に臨時収入が入る
出発するとき餞別もらう

テレビのない時代だから、どこへ行くにもただでいけただろ

覚えておきたい芭蕉の名句200 

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